「頼む…私と、逃げてくれ…」

「え…」


久々に会えた恋人――佐々木愛次郎の突然の言葉に、あぐりは絶句する。


「突然、どうしはったんですか…愛次郎さん」


来たときから様子がおかしいとは思っていた。
しかし、まさか"逃げてくれ"などと…


「新選組で、何かありました?」


あぐりが尚尋ねると、佐々木は膝の上の拳を強く握り締め、
震え始めた。



「…芹沢先生が…。」

「芹沢先生?…ああ、この間の。」


先日、佐々木と市中を散歩していたところ、新選組の隊士らしき一行と偶然出会った。
その中央にいた、体の大きな男。
佐々木や他の隊士達は「芹沢先生」と呼んでいた。



「芹沢先生が…あぐりを、妾に、と…」


「……妾…。」



さすがに二の句が継げなかった。
その意味を理解するまで数秒かかった。

そしてその意味を理解したあぐりは、驚きと恐怖に自分の身を抱く。



「しかし…私はお前を差し出したく等ない!!」


それまで下を向いていた佐々木が、顔を上げ、声を荒らげる。


「だから…っだから…」


それで、"逃げる"の意味がようやく分かった。
芹沢先生には逆らえない、ならば、二人で駆け落ちするしかないと。




「…わかりました。」


あぐりはしばらく無言で佐々木を見つめていたが、
やがて決心したように、受諾の言葉を口にする。


「いいのか…あぐり…」



あぐりは真っ直ぐに佐々木を見つめ、まだ震えている佐々木の手をとる。


「では…今宵…」







*****











「……愛次郎さん…?」


飛び散った赤を目の当たりにし、
あぐりは何が起こったのか未だ理解できずにいた。



「あい…じろ…さ」


ついさっきまで繋いでいた手が、赤く染まっている。
うつ伏せに倒れた佐々木の下からは、赤い液体が流れ拡がっていた。

あぐりはその場にしゃがみ込むと、倒れている愛次郎に触れる。

「…あ…ぐり…」


倒れている佐々木が、あぐりの名を呼ぶ。

「愛次郎さん!!」

「…に、げろ…はや…く…っ」

息も絶え絶えな佐々木の口から、大量の血が吐き出される。


「あ、ぐ…」


そして、佐々木は動かなくなった。




「馬鹿な奴だ。素直に従っていればいいものを。」



上から、非情な声が降ってくる。
ふとその声の主を見上げる。
見たことのある顔だ。いつぞや、市中で会った、
そう、あの芹沢と一緒にいた…
佐々木は「佐伯さん」と呼んでいた…。

確か、駆け落ちを勧めてきたのは佐伯だったという話だ。


あぐりは、瞬間、"仕組まれた"と思った。



「さて、女。」


そう言って、佐伯はへたりこんでいるあぐりの胸ぐらをつかむと、
自分のほうへ引き寄せた。


「このあと自分がどうなるか、わかっているな」



あぐりにはその意味が明白に理解できた。

しかし、このようなところで辱しめを受けるつもりはない。
もとより、この身体を、彼以外に渡すつもりはない。






何もかも投げ出して、一緒にいると決めた。

あなたと、一緒にいられないなら
いいえ、あなたと、一緒になるために。





ふと、上を見上げると、
藪の間から、憎いくらいに輝く月が見えた。





あぐりは、そっと舌を出すと、勢いよく噛み切った。
















-終-












*あとがき*

たまには、平隊士も!と思って書きました。
佐々木愛次郎とあぐりの話は有名ですが、
佐々木はまだ19歳…。やっぱり可哀想な話ですよね。
しかも身のこなしが敏捷であったとの話ですから、これからまだまだ未来が輝いていた
はずなのに…。
剣術が好きで、侍に憧れて、新選組に入隊した佐々木。これからまだまだ新選組で実績を
挙げたであろう人物ですしね。
私的に、あぐりはものすごく強い女子だと思っています。
辱しめを受ける前に舌を噛みきったという話からもそうですが、
佐々木は、年の割に落ち着いていて、時には芹沢にでも意見するような若者であった
とのことですが…当然その反面、芹沢には良く思われなかったでしょうし、
落ち着いているとは言ってもまだ少年ですから、ストレスもかなり溜めてたと思うんです。
そんな疲れた佐々木を慰めていたのもあぐりではないかと…。
なので今回は、あぐりの強さ、女の強さをテーマにして書いてみました。
佐々木の後を追ったあぐり、二人とも暗い藪を抜けて、向こうで幸せになれてたらいいん
ですがね…。合掌。